大祓(おおはらえ)は、6月と12月。
12月の年末は大晦日の大祓い(年越の祓、としこしのはらえ)。これは認知(期待と目撃)を度外視すれば、年中行事として知名度があります。
6月末は夏越しの大祓い(夏越の祓、なごしのはらえ)。これは、大晦日の大祓いから約半年した、年中の折り返し期に近所の神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」を歩く、厄落し行事です。こちらは、知名度が薄く、観光地の社殿が維持しています。
キーワードは「潜(くぐ)る」です。
わたしは、<潜在能力のでてくる想像力、その自由がある会話=アイディアフラッシュ>を支持しています。
潜(くぐ)った人間は、焦らず・慌てず・溺れず・怯えず・せっかちにならず、合理的に浮上させる。
確実に・着実に・明抜けた。ならいい、とは、考えられませんか?。
潜在能力はpotential(ポテンシャル)であり「見込み」です。想像力のみが、可能性を見抜いた。目が良いんです。これを社会は「人は夢を見る。」というわけだ、でも。
社会の現場に、立ち上がった大人は「夢は、実現するものだ。動かせた分だけね。」という、能力者の価値観なんだ。
この目の良さを、会話を、「能力を無視している」と踏みにじる(=心配を喚起する反対運動で、潜在能力を潰して威張る。)なんて、資源の無駄使い。と思いませんか?
ぎゃあぎゃあ言わせておけばいい、「話しながらで良い、分担を終わらせろ。」と言うなら筋が通る。
想像力が自由、でも。
能力がそこそこ、あまり豊かでない人間には「その話はいい、けど。誰がやるの?どう出来る、のかな?」と確認を取ればいい。
誰かがやるは、絶対に、誰も何もやらない。
いつかは、絶対に訪れない。
言い出しった当人がやって、成果に換えるんだ。応援したらいい。だから確認したら、分かる。大切です。
ただ<話せない事は、話さなくていい>という態度を示すのも、マナーです。正直に言って、重要性に比例して<黙秘権を強行する人間は、ちょっと、凹んでる>んです、気になることが多過ぎる。ちょっと、立場を配慮するなら、きっちり成果を握ってくれます。
合理的に行こうよ。