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ボキャブラリー(恐さ回路÷5歳児のポジティブイリュージョン)

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2013-07-18UP

スタジオジブリ:『猫の恩返し』にあわせて、無理しましたが、UPです。

誤字脱字はご容赦ください。


前座。

色々と、思い出す作品があります。

『借り暮らしのアンリエッタ』、『猫の恩返し』

総合すると「手段を借りて、自分が選択していたんだ」と言えそうです。自己選択そのものが「信じる、確かさの感覚」です。感覚の下に「考え方(解釈、原則)があります。正確さでも事実でもありません。

もう一つ。

『デジタルモンスター(デジモン)』と『ジャイロゼッカー』を、「選ばれし子ども」というワードから。

「選ばれし子ども」は「魔女っ子」とおなじだ、とわたしは見立てています。どちらであっても「高度な扱いの人間関係を受け取っている子ども」なんです。世界を揺るがす希少な力から指名を受けて「わたしだよ」と応えているんです。


本題。

ボキャブラリーを聞く事が減りましたが。ボキャブラリーと脳と表情の豊かさは比例します。

脳を豊かにしたければ、気持ちのいい表情を豊かにするか、気持ちのいいボキャブラリー(セリフ)を多様にするのがオススメ。


「子孫の頭が良質な方が好都合だ」という方は、自分の表情とボキャブラリーを多様に持ち、気持ちいい形に整えればいい。


というのも。

大人のキャブラリーが乏しいと「しっかりしなさい!ダメな子、出来ない子」と言いがち。

確かに「魔の2歳児」や「魔の5歳児(『クレヨンしんちゃん』の原作です)も出現しますが、これは、見事すぎるお手本になる大人からコピーしただけ、本来の能力ではありません。

さて。

突如、大人の苦情を言いつけられるのは4歳児です。もっと早い人もいます。

「え!愛されるに価しない・・・愛されてないんだ・・・」と4歳児のショッキングがあった、後は、「出来ない」にでくわすたびに自信と知性(空間把握能力)を低級に使う。「この人に見捨てられたらご飯も心地よさもないじゃん!この人に尽くさないと餓死しちゃう!」とこれで立派な共依存スタート。見事に、自己データを「出来ない」とバッシングして、変えて、自分を支配する事で「エラー(失敗を含む挑戦)の無い、(保護者に叱られない、保護者に見捨てられない)理想の自分」を演じて、もったえぶった効果を狙う。

理想の自分は、「3歳までの自分=自己」への失望と懐疑心で「恐怖に駆られている」だけ。

この恐怖を、脳の前頭葉でキープさせてる、すると脳の前頭葉が「最も起きて欲しくない打撃」を連呼して居心地が悪い=不安になる。前頭葉が大騒ぎしてる4歳児は、効果を狙って、失敗を積み重ね「エラー(失敗)しちゃった罪悪感」を前頭葉にキープして、出来ない過去を取り戻そうと「将来への不安」を威張る。こうなると「聞きたくない自我」で言われたことを聞き入れません。なのに「言われたくないワード」を前頭葉に貼り付けて、根に持つ、執着してる。人への憎しみで前頭葉が炎上してる。


脇道。

国政選挙が近いので、余談です。

出来なかった過去は、取り戻さなくていい。終わったんです。

国際的には「連合思想は、一時的平和の果てに、確実に戦争を作る」と世界の全地域と歴史が証明したんです。

日本において「大東和思想」を取り戻す必要はないんです。大東和思想の教育は「敗戦」という居心地の悪い結末に終わりました、居心地が悪い相殺に「イザナギイザナミ好景気」による気持ちよさを創った。もう、終わったことです。

では、今、この瞬間を気持ちよくする好景気をどうするんだ!と言いたい人いるでしょう。わたしから提案できるのは「自分を高度に扱う」という提案です。仕事の精度をUPする、プチ贅沢、一瞬だけど高級な品に触れるチャンスを消費する、ちょっと高い場所から風景を眺める、星や宇宙工学を見つめて宇宙を想像する。きっと多種多様にある。・・・はすです。脳の潜在意識は「高度な扱いを受けた・・・自分は高度だ!」と言い張るんです。


さて。

前頭葉のキープは、アルコールでもあっさり成立しますが、最もあっさり成立するのは姿勢の崩壊です。でも。

脳の前頭葉は、背骨のシグモイド曲線をONにするだけで、鎮静します。前頭葉を鎮静させたら、「この瞬間が<しあわせ>な臨場感」を創りながら、恐怖の経緯(未処理)を整えて「恐さ回路」を縮小させます。これこそが「自己と自我の恒常性維持機能(ホメオスタシス)」なのです。

恐さの縮小に必要なのです。


炎上した前頭葉は、病気を作る「病気は気から」。

エラーを前頭葉にキープする(根に持つ、悩む、忘れない)から「細胞の陽子に酸性データ=病気」を詰め込む。病人ならまわりが困りながら世話をする、これで共依存の獲得です。

幼児が病気で共依存を獲得する。

老人が病気で共依存を獲得する。これが日本の理想郷ですか?

病気は自殺です。しかし、自殺したって見捨てられた餓死と比較したら結果は同じ。

「まわりが、自分を基本感情にするように世話をして欲しい=愛情依存」をする。自分の基本感情を「出来ない」と威張る。

病気は多くありますが、呼吸の病気(鼻詰り、口呼吸、風邪に関する症状、鼻と連動する下半身の不調)による脳の前頭葉のダメージが危ない。

人任せにしたら、絶対にエラー(失敗を含む挑戦)がないけど、絶対満足しない。ずっと餓つえる。

ずっと待つ、ずっと被害者意識。

ずっと「あなたが困れば何でもいい」と威張る。

見事に「人任せな特別扱いの不公平に迎合する大嘘つき&八方美人&思い込み癖の激しいトラブルメーカー=都合いい人、騙されるカモ」の誕生です。


と。

では。

4歳児を、保護者が見捨てなかった、としたら?・・・ほぼ数年後に心中します。

拒絶を知った4歳児のショッキング「え!愛されるに価しない・・・愛されてないんだ・・・」と事実から「大狂いした主観、狂気、自分だけが何で!」という考えと感じ方は、幼児にまだ客観が未成立だっただけの大事故でした。

保護者もそろそろ1000日ですから、ヒヤリハット300回なんてとっくオーバーして、大惨事はお約束でしょう。

とは言えど。

ショッキング以後の4歳児は居心地が悪いので「生存競争=一人勝ち、裏切り同然のスタントプレイ、独り善かれの独善」をオーバーランして「孤独をゴール」に大騒ぎします。この大騒ぎが「まわりの怒りを買う、面倒がられる」状況に拍車をかけます。

結果的に、4歳児は「理想の保護者からの拒絶(見捨て)さようなら」が必要だった。だたし。

本来は。

拒絶を知った4歳児は「サポーターをやってくれる大人、ボキャブラリーの豊かな大人」といっぱい出会った。はずでした。

4歳児程度の幼児は、理性があり自我もありますが、「いのちを裁く=人間を批評(バッシング)する」という事を持ってません。だから、こう想ってます「今日は叱られた、寂しい・恐い、でも。明日の自分は愛される。新しい大人と出会いったら自分は愛される」と。

ボキャブラリーの豊かな大人は、子どもが「成ろうとしている自分」を目指している相手の可能性を見抜く「冷静な知性&熟した感情(情熱)」があります。

努力を褒めて、努力を助けます「○○をやろうとしたんだね、まだできないこともある、それでも。ココをやってごらん」となる。はずなんです。「努力を始めたら、助けを借りる事が出来て、努力の成果は自分が得るんだ。」という流れになる。はずなんです。こうした躾を日常に受け取った子どもは「自分の考える自分=自信(セルフエフィカシー)」を自覚した瞬間に「自分は愛されて選ばれてる、という臨場感」が出て来くる。

つまり、保育の成功です!


一方で。

見通しが無い時の感情が怒りです。見通しが無いぼど際限なく「エラーを根絶やしにする力」が欲しかった。得たのは怒りだった。怒りの劫火を前頭葉にキープして、どうするか。(・・・『家庭教師ヒットマン・リボーン』の「死ぬ気の炎」ってどうよ)

比較します。ココに怯える醜い人間です(『醜いあひるの子』)。ボキャブラーが乏しく、表情が乏しい。なにが出てきても面白くない、投げ槍です。幼児の愛らしさでフォローできる小さな醜態ではありません。「多少、実力を自負する優等生は抵抗する態度が傲慢です。常に目が睨んでヤクザ目の三白眼でぶっきらぼうの能面顔です。」「実力を放棄した劣等生は都合のいい友達としてかろうじて暮しているため従属です」どちらも「狂気=事実への客観から大狂いした主観」で比較して「自分だけが働き者だ。自分だけが損だ」と自己尊大に被害者意識を心底で威張る。

事実の人間関係は「ずっとイザコザ」、ずっと気になる過労に成り果ててる。

批評(バッシング)する。ずっといじめられてる気がする、ちょっとぐらいいじめたっていい、という横暴と横柄が分からない、まわりに迎合して悪人を作る。けど。本当に断罪する対象は自分だったりする。「3歳までの自分=自己」への失望と懐疑心で「恐怖に駆られて」、成りたい自分を知っても、即行「出来ない、エラーしちゃった罪悪感をどうするんだ!」と自己断罪してる。成りたい自分は、批評(出来ないバッシング)の対象。だから、「成りたい自分を認める喜び」が無い、居心地が悪い。

破壊すれば、居心地を悪くする「エラーを根絶やしにして欲しい」。居心地を悪くするきっかけは・・・「成りたい自分」だ。「挑戦の破壊=人的資源を切り棄てる+チャンスになる約束をドタキャン+子孫を根絶やしにする」(絶家ってあるんですよ)。

(サンライズ:『タイガー&バニー』のユーリて、正義かと思いきや、破壊者ですよ、なまじ理性が分厚いから自我も分厚い。わたしの好みって壊滅してる。)


大人げない・・・というか、ボキャブラリーと理性が乏しい。

理性が閉じた自我も乏しい。自我が乏しいのに、解放しない。ボキャブラリーが乏しいから、脳がスポンジで、動作のインストラクションをする理性もスポンジだから、成果まで、ゴール出来てないリタイヤをする。

自我を解放した人は、頭がお利口さんで、理的な人になる。



さて。

保育に成功した大人と子どもは「この瞬間が<しあわせ>という臨場感」に相応しいなのは「成りたい自分になったからだ」と確信します。「成りたい自分を認める喜び」を想像させる、想像力から能力が芽生える。想像力は発言に現れます。ホラは実績からかけ離れているほど有効になる。「そっかぁー」と聞き流すのも「豊かな大人」なのです。


「もーっと、しあわせでいたい」という想いは3歳児が既に望む誇らしさです。

なら3歳児より大人な4歳児は発見するんです。

「まわり(保護者、大人)の人任せ」な今の自分。

とは別の「異なるもう一人の成りたい自分をストレート(率直)に目指せばいいじゃん」

この発見と探究は生涯付きまとい、衰えない。老化なんて寄りつきません。

5歳児(幼稚園児)は「成りたい自分」を大声で宣伝します「わたしは○○になる!」。これが保育の成功なんです。大人は「そっかぁ○○になるんだ!だったら、苦手や嫌いも<少しだけ=スローステップ>出来るようになろっ!」という具合に、スムーズに「出来る情報の拡大化作用」が機能します。楽だよ。

これが、「5歳児のポジティブイリュージョン」ですが、忠告します、ポジティブはネガティブと普遍に対です。

ポジティブ(都合がイイ)を持てば、ネガティブが降ってきて逃れられません。

ネガティブ(仕事)を持てば、ポジティブ(乗り越えるアイディアと人的資源)が降ってきて逃れられません。

(物語に「ミーツー」という型がありますが、どうでしょう)


さて、幼稚園児も成長して6歳になれば「幼稚園児の最年長。お姉ちゃんお兄ちゃん」です。

6歳児ともなると、保育に成功していれば、努力を褒めても浮かれませんが、事実のある貶(けな)しを聞いても落ち込みません。誇り高い「しあわせ=成りたい自分」の自覚があるからです。

小学校で、とくに小二で、いろいろあるでしょうが、ボキャブラリー豊かな会話をいっぱい交わしてください。辛いネガティブを言い換えるボキャブラーを持ってください。


お?

まーだ、不安があるのかい?

一部の報告によると。

不安は

・対処しなかった、としても5個イメージして一回程度の出現率。出現率20%だそうです。

・対処した場合は、20個イメージして1一度も出現しない。出現率4%。もはや「親の七光(=親子のDNA遺伝率は5%)」も言えません。

「出来るの拡大化作用」を使って、対処が出てきたらOK。

はじめたら、助けを借りて、自分の成果を出したら、君のモノだよ。

「エラーは、挑戦の途中なんだ、この方法ではないっていう収穫をした」だけだよ。一度、別のことやって。次を始めよう。



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