(出来る限り「いいね」を付けない。)
しばらくは「自分の過去を見返る、13歳の中二」を書く、「ネタ」が尽きたら切りよく終わる。
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13歳の5月は...去年の後始末、と今年の用事が同時期にあった月でした。
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去年の後始末、それは、クラス替えの不祥事「祥:めでたく」にあらずの出来事でして「当人の不承知=不用の世話焼きが炎上した」んです。
わたしはクラス編成の初期案では「去年のクラスメイトが誰もいない状態で、中2のクラスに移る予定」だった、そうです。しかし「担任を担う教諭=長生きした大きい社会人」の要望の過程で「トモダチ」を一名だけ無理やりに融通したぃぃえ「わたしが発言して変えて貰った不祥事;因縁」です。ぇぇ、わたしが言わなければ善かった。
事態に失望した振り回された生徒は「事を放る穏便主義」を思い切り、まずは、実動した担任に生徒が事情を「諭し:物事の道理をよく言い聞かせて分らせた」うえで、次に、5月に入り担任経由で「絶交の申し出;離婚劇?」に出た、即行で終止符を打った。
(とても相殺に則る、正当な手段、だと今でも思います。)
(ぁぁ。クラス担任として悪影響に加担してしまった大人について、社会的名誉にために言って置きます、当時は教員歴が浅いクラス担任も2回目程度の方でした、然るに精進されたでしょうし、専門教科の指導は多くの生徒の意欲増進に一役買った、きちんと教員免許に相応しい方でした。)
それだけです。わたしは、特に申し開きも、懇願も、執着も無かった。それに...「相手は、被害者だと宣言した」んですよ。ここで私が加害を続投すると、わたしの経歴が虐めっ子に成るのは自業自得ですが「相手の経歴を、虐められっ子(虐待児)だと汚す出来事に陥る」これは不用だ。
なので、二言「判りました。それでいいです、ただ・・・今年度が始まったばかりで同じ活動がたびたびある。それはどうしたらいいでしょうか?」淡々と事務処理が在るだけでした。そもそも「就労の義務としての学業です、然るに就学に障る事が無ければ、関係の無さはどうでもいい」一件落着。でしょうね、この場は。
(いいえ、よく無い。教諭らは、問題じゃない問題児を「孤立児童、孤立生徒、同年代の友達付き合いの極端に無い子」という。改善もしませんから独り暮らしの孤立死に行き付くんですよ、こういうやつが)。
これには後日談が付く。
次、中三のクラスで「じーぃと熱狂的に見つめる冷たい視線=憎しみ」というものを学習させてもらったわ、事情が解れば自業自得の必然だったし、「憎しみ」がなんです?攻撃では無い、これが「加害に及ぶ前段階にでる殺気の視線」に替われば対処しましたよ。相手が社会性ある善良な生徒で助かりました。
こういう、根腐り、腐食は、果ても底も無い、底辺の競争を転び転がり、落ちぶれ、崩れ、壊れるモノがなくなっても朽ち続ける、気力の枯れる・気枯れた・穢れだよ。こんな物語りばっかだ。金に出来れば何でも善い、高額興行収入だと持て流行らす公害産業なんぞ、消えろ。人類のために消えろ。
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さて。
5月は、年度初めから日が浅い、然るに、学業以外の部活動も再配置がある。
わたしは、一筋に吹奏楽部の金管楽器。そこは、毎年ことごとく「定員オーバー;演奏の下手な奴は放任、二軍で勝手する(野垂れるor自主練習・自習)」な日々。それが...中二では定員割れ部活に変貌、吹奏楽部なのに「打楽器と低音楽器が不在」に・・・こういう事態に犠牲になるのは二軍です。
わたしには「金管楽器チューバへの持ち替え」提案が!チューバはデカイ楽器です、重たいいんですよ、苦痛です。年に三回の野外活動の移動は、大変、気分が鈍重です。(パレードなんて・・・という事情は業界の共通でして「行進用の楽器」は在るんですね!その姿は「白い大蛇を首や肩に巻き付けた印象のあるチューバ」でした。これは演奏の機会が無く、使いませんでした。)
気分が鈍重なうえに、クラスの不祥事の終止符を打ったばかり、気疲れの底割った13歳児の態度は不良ですよ、精一杯の「嫌」一色。このわたしが全力で比較して抵抗感覚で頑固オヤジ状態(応戦してるのは当人だけだね)。
そりゃ、だがら、音楽教諭の疲労は言うまでも無い。
結果は・・・一度だけお試し・・・という条件で、わたしがチューバを扱ってみた所、確かに重いですが座った演奏なら許容できる程度だと確認できて、音域もあっさり広範囲を吹けてしまい、楽譜も低音のベースならではの単調(楽譜の基礎基本が怪しい中坊でも読める→指導が少ない!)・・・結果は、あっさり即決で持つ楽器を、入れ換えて一件落着。
音楽教諭の解決した時の「表情の、ほころんだ顔」といったら、あれを「感謝の表情」というんだと13歳の自分でも思ったのを憶えてる。
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33歳の小母さんが見返して...なんて、ちょろい自分。